プロフィール

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  • ハンドルネーム:ジャスティス岡本(ジャスティス、ジャス、ジャスティス隊長など)
  • 本名:岡本雄樹
  • 職業:サラリーマン
  • 勤め先:アシアル株式会社
  • 仕事内容:教育事業部のマネージャーとして研修の企画や運営、講師などを行っています。
  • セールスポイント:好奇心と守備範囲の広さ
  • 趣味:コンピューター、読書、歌、料理、健康に良いこと
  • 仕事以外の活動:コワーキングスペース八王子8Beatのお手伝いをはじめ、色々なことに首を突っ込んでおります。

お仕事履歴

執筆実績

イラストでよくわかるPHP はじめてのWebプログラミング入門

WordPressプロフェッショナル養成読本 [Webサイト運用の現場で役立つ知識が満載! ]

自伝

誕生

1985年、ブルーハーツが結成した年に生まれる。

東京生まれの埼玉育ち、なお現在は東京都文京区在住。

幼少のころはドライバーを握りしめて家中の家電製品をバラバラにしてしまう「好奇心旺盛」な子どもであった。当時の彼の迷言はこうだ「電気で動かないものに興味はない」。

小学生の頃のエピソード

今でこそハーフマラソンを2時間以内に走り切ることができるが、当時は非常に足が遅かった。なんと学年ビリである。子どもにとって足が遅いことは致命的だと今でも思う。鬼ごっこをしたら永遠に鬼のままになってしまうし、スポーツでも不利だ。運動も大の苦手で、スポーツテストが女子の平均にも届かなかった。

もしもタイムマシンがあれば過去に戻って自分に教えてあげたい。毎日少しずつ練習するだけでハーフマラソンだって完走できるということを。

中学生のころのエピソード

学校は大して面白くなかったが、このころ初めてインターネットと出会った。
ヤフーというサイトに行けば世界中の情報にアクセスできるらしい。
困ったことに、学校のコンピューターは殆ど解放されておらず、また、アクセス制限がかかっていて自由に調べ物をすることは難しい状態だった。そこでインターネットに接続するためのパソコンが欲しかったのだがパソコンは高価であったため、「ドリームキャスト」を買ってもらう交渉を始めた。ドリームキャストには33.6kbpsのモデムとWindowsCEが搭載されており、インターネットに接続することができた。ブラウザもチャットクライアント(IRC)も使える、立派な端末であった。ネットを使うためには、当時、ハンドルネームが何かと必須だった。私は学校の教科書で見かけた、正義の女神から名前を取って「ジャスティス」と名乗ることにした。

高校生のころのエピソード

高校は親の勧めと幼馴染も行くという理由で、工業高校の電気科に進んだ。
電気科というのは電子部品を組み立てたりするのではなく、家やビルなどの屋内配線について学んだり、ひたすら電気関係の計算をこなす学科であるということを知ったのは入った後であった。

工業高校には良くも悪くも変わった人間が多く集まってくる。
お陰で、私の様な変わった人間も浮きすぎることなく、比較的、大過なく学校生活を送ることができた。
まぁ、答案用紙の名前に「ジャスティス」と書いて怒られたこと以外は、おおむね平和だった気がする。

また、高校一年生の時に念願のパソコンを手に入れることができた。自作パソコンが得意な友人に恵まれ、5万円という破格でCDを焼く機能の付いたWindowsPCを組み立ててもらった。以後、コンピュータ漬けの3年間を送ることとなる。

もっとも集中してコンピューターについて勉強したのは高校生の時だと思う。質問できる人がいて、図書館やインターネット上には情報が山ほどあり、なにより自由な時間があった。授業をサボってコンピュータ用語辞典などを読みふけっていたのは、非常に申し訳なかったが、そっとしておいてくれた先生方には感謝している。秋葉原で中古パーツを漁ってパソコンを組み立てたり、低スペックなコンピューターでLinuxサーバを立てたことは今でも貴重な経験である。

また、この頃から、本の面白さに目覚めて頻繁に図書館に通うようになる。

一番多く読んだのはコンピューター関係の本で、ビルゲイツ氏やジョブス氏、リーナス氏に関する話にはかなり興奮を覚えた。将来は自分もコンピューターでビジネスをしたいと思うきっかけになった。

高校生活も中盤以降は進路の話が出てくる。親の希望としては、工業高校の就職率の高さを生かして職について欲しかったようだ。でも自分は勉強が好きになっており、進学を希望していたため、昼ご飯代を積み立てて大学に行くことにした。ちょうど昼飯代として500円貰っていたので、80円のフランスパンを食べて420円積み立てる。あるいは食パンを1斤買って2日に分けて食べるような事をして受験料と前期の学費を貯めた。そして学費が最も安かった東洋大学の経営学部へ進むことにした。

「貴校で経営を学びながら、独学でコンピュータを学んで将来は起業します。」

と面接で語った日の事は今でもよく覚えている。そして、入学金を振り込んだ時の万札の厚さも。

大学時代の話

大学進学してすぐに両親が離婚して母親が家を出た。そして、年明けごろに父親が家に生活費を入れなくなった。父親が妹と一緒に働いてくれと言ったので、妹を連れて家を出た。妹の高校の近くに引っ越し、高校を卒業するまで二人で暮らしていた。

大学時代はコンピュータ関係のバイトをしながら、大学に通った。経営学部生で文系だったため、最初の会社に合格するまでは少し大変だったが、一度仕事を覚えると道が開けてきた。お金に余裕はなかったが、心の余裕は多少あった。

あの時は必死で生きていた気がする。仕事やお金に追われていて、学園生活を十分に満喫できなかった事は心残りだが、得られた経験は貴重なものであった。。
尚、いまだに単位が足りなくて学校を卒業できない夢を見る。

あとがき

まだまだ書き足したいことが多いのですが、いつまでたってもブログが始められないのでいったん締めます。
振り返ると、私が自分の人生を主体的に生きられるようになったのはインターネットに触れた後の、特にコンピューターという魔法の箱を手に入れてからになります。お金はあまりなかったけれど、本やネットから知識を得ることで、技術やノウハウを手に入れて人生を切り開くことができました。

いま私がコンピューター関係の教育に携わっているのも、何かの因果なのかもしれません。コンピューターやネットの力で、より多くの人が豊かな人生を送れるように、微力ながら日々貢献していきたいと思います。